syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 377  字が下手だと自覚して

 先日、贈り物をしたら100歳になる妻の親戚中で一番の年長者の女性から手紙の令状が届いた。


「少し耳が遠くなりましたので、お手紙にしました」と。


 達筆な上に文章の確りした手紙に接して久しぶりに感動した。
 手紙を公開したいのですが、個人情報が文面一杯に散りばめられているので、それに代わるものとして97歳の時の直筆賀状がありましたので載せておきます。


 小さい時から周りに字の上手な人が多くいたので、自然と自分は字が下手だと思うようになったようだ。字の上手な人は好きこそものの上手なれでよく練習をしていたようだが、それを知らなかったもので。


 字が下手だという自覚と劣等感はその後もずっと続いていた。


 ところが学生時代に免許の関係で「書道の単位」を取らなければならないことになり、しぶしぶ2単位を取ることにした。
 字が下手だと自覚していたので、仕方なしに徹底的に練習をした。最後の評価の課題は楷書一字であったと記憶している。


 課題の楷書と遊び心に創作的な一枚を添えて提出した。


 その評価が何となんと上位の「優」であった。


 驚くと同時に「きっと何かの間違いだと」思い教授の所へ質問に行った。
 教授は私に「個性が出ていて面白かった。楷書の方は練習の深さが感じられた。あれで充分だ。これからも頑張って」と励ましてくれた。
 少しだけやる気が出たが、下手だという自覚はなんら変わることはなかった。ただ不思議なことに教授の言葉を聞いてから「劣等感」は徐々に薄れていった。「下手は下手なりでいいんだ」と思えるようになった。


 あの時の教授の一言が、それ以後の教員生活の土台に確りと根付いていった。
 「個性が出ていて面白い」「練習の深さが感じられる」


 字は下手であるという自覚は残ったが、劣等感は完全に消えた。


   下手は下手なりに味があると受容することができるようになった。


   さすが、教授だ。人を育てるプロだ。ありがとうございました。

   

         現在100歳 97歳の時の直筆賀状

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