syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 406 きょういくの姿が見えなくなった(教育33)

 安倍元首相が亡くなって教育の姿が見えなくなった。


 家の前が小学校のグランドで子供たちの元気な声が以前は家の中まで響きわたってきた。今はその元気さが消えていった。
 子供の数が減ったせいだけではない。登下校の子供たちも行儀がいい。


 安倍さんが亡くなって、文部科学省や教育族と言われる政治家たちの動きも見えなくなった。
 憲法改正や教育問題についての熱意が安倍元首相の死を境に大きく変わってきたのを実感する。


 教育も医学も、教育界や医学界「界」がつくと「界」の中では動きが取れないようである。よほどのリダーシップをもった人が出てこないと正論をはいてみんなをある方向に引っ張っていく力はない。


安倍元首相は稀に見る政治家であったのだと思う。
安倍元首相の時代はきょういくの姿がよく見えた。
教育に関して多くの人が関心を示し、行動をした。


 さて、これから見えなくなった教育の姿をどうして見えるようにしていくかである。


 文部科学省、日本教職員組合(日教組)、全国教育問題協議会(全教協)
全日本教職員連盟(全日教連)、そして日本会議等
の動きを丁寧に比較検討して、現場の声を聴きながら、きょういくの姿を記録していく。


 今、教育はどうなっているのか、88歳からの趣味として楽しみながら観察していこう。最晩年の暇つぶしです。

  

     わが母校で定年を迎えたことはなんという巡りあわせか。感 謝


     

卒寿小論 405 断捨離の勧めは兼好か?(徒然草8)

 兼好法師は本当にこう考えていたのであろうか。


 わざわざ「賢き人の富めるは稀なり」と書いたことは、本当に「稀」であるならば話題にする必要もないと考えるが。


 「人はおのれをつづまやかしに、奢(おご)りを退(しりぞ)けて,財を持たず、世をむさぼらざらんぞいみじかるべき、賢き人の富めるは稀なり。」(第18段)



「人は、わが身をつましく簡素に持して、ぜいたくをしりぞけ、財宝を所有せず、俗世間の利欲をむやみにほしがらないようなのこそが、りっぱだといえよう。昔から賢人で富裕といった人は、めったにないものである。」


 鎌倉幕府最晩年の吉田兼好は、貴族社会と武家社会の空気を十分に感じて生きた鎌倉末期の文化人である。


 平安時代の社会を現実には知らないだけに、周りの人からの体験談や資料から平安の貴族社会を思いめぐらして、鎌倉の武士の生きざまと貴族たちの暮らしぶりを想像することによって、彼の考えや思いが形成されていったと推測できる。


 「昔から賢人で富裕といった人は、めったにないものである。」と、述べた兼好の本音の部分は関心のあるところである。


 鎌倉の権力者集団に気を使いながら、昔よき平安貴族のあこがれが彼なりの思想として表現されたのではないかと思っている。


 徒然草を最終段まで読み通して、兼好の思想や暮らしぶりを探ってみよう。


               別府温泉 駅前広場
             

卒寿小論 404 教育名言

1 遊ぶ感覚で学ぶ 


       橋本 武(1912年生 101歳没 灘高校国語教師)
  参考 中学3年間をかけて、中勘助の「銀の匙」を読み上げる国語授業で有名。
  授業の流れ、通読する 寄り道する 追体験する 徹底的に調べる 自分で考える


  ~遊びは自由、体のうちから湧き出た知恵と行動で学ぶことか~


2 言葉の前に心あり、言葉の後に行動あり 


  島田浩子(日本話し方センター社長)
  参考 創業者は江川ひろし 1929年生 74歳没


  ~心と行動が言葉を生かす。信頼はここから~


3 謙虚な人ほど感動する、感動するから学びが深くなる


  角谷敏夫(1947年生 松本少年刑務所内の公立中学校教官)


  ~感動があったから、この歳まで継続出来たんだなあ~


4 自らの国の古典を識(し)らずして叡智ある21世紀の国際人たり得ない 


  山下宏一(1946年生 梅島幼稚園初代園長)
  
  ~古典の面白さ、素晴らしさを実感している~


5 国家の再建は教育から、教育の再建は人から、そして人の再建は言葉から


  宮川俊彦(1954年生 60歳で急逝 国語作文教育研究所所長)


  ~こばを通しての真実な表現活動が人を作り国を作る~


  

              わが母校 中学校の全景です