卒寿小論 111 空 気 銃 <掌編27>
勝は、そっと空気銃を握ってみた。鉄の重たい冷たさが指先から骨にしみる。外は雪がちらつき南の街にしては珍しく冬らしい一日であった。
裏山の登り口には5年生になる弟の賢を待たせてある。家族の者たちは仕事で誰もいない。
空気銃を持ち出すのなら今だ。ポケットの中では空気銃の弾がじゃらじゃらと気ぜわしく音を立て、勝の心を一層不安にさせた。
「エイッ」構うもんか、その時はその時のことだ。そう決断すると空気銃を引っ提げて裏山へと急いだ。
弟の賢は、竹藪を背に風をよけて日の当たる枯草の上に座って待っていた。
「賢、弾を持て。」賢は弾を持つと勝の後に続いて裏山を上り始めた。
何分間か無言のまま勝と賢は裏山を上った。
そこは、よく父母と一緒に枯れ木拾いに来る場所で、道幅は60センチぐらいで右手側に沿って杉の木が植えられてあり、杉の木と杉の木の間には小さな松やクヌギがありその根元は茅や羊歯で覆われていた。
途中、何本かの分かれ道があり分かれ道に着くたびに勝と賢は一休みした。そして、今登ってきた道を一休みするたびに振り返ってみた。
我が家が木々の間から透けて見え、家の向こうに麦が緑に広がり麦畑や我が家に覆いかぶさるように海が見えた。この海はその昔水軍の基地として戦国時代の交通の要衝であったいう。
この山を登りつめたところに直径50メートル程の淵があり淵の周りに叢と林があった。この林の中に小鳥は群れていた。たまに雉も見かけるしヒヨドリや百舌鳥が群れていた。
普通よりも急いで登ったので普通よりも早く体が汗ばみ呼吸も乱れていた。
暗い小道が切れて、明るい広場に出た。淵には黒く透き通った水が波も立てずに静まり返っていた。
「撃ってみようか。」勝が不安そうにつぶやいた。
空気銃の使い道は知っていたが、弾を詰めて自分の指で引き金を引いたことはなかった。初めての経験である。今までに味わったことのない緊張感で体が強張っていた。
賢の方は自分で撃つのではないから多少は不安に思うのだが別に気になることはなかった。
「兄ちゃん、撃ってみろよ。」その言葉に連れられて肩から銃を下ろすと二つに折り曲げて弾を詰めて準備をした。
「賢、肩を貸せ。」
賢の肩に銃身を載せ淵の水中に狙いを定めた。
「プッシュ。」と音を立てて黒い水面に弾が突き刺さった。白い泡が水中に残り、銃身の先から微かに煙が出たように感じた。
別に変ったことは起こらなかった。「なんだ。」勝も賢も今までの心配していた張りつめた気持ちがスーっと消えていった。何発か水中に向かって弾を撃ち込むと二人は林の中へ入っていった。
鳥の声はするが鳥の姿は見えなかった。木々の枝が重なり合って林が暗く鳥は動かないで声だけなので枝なのか葉っぱなのか鳥なのか区別がつかない。
注意深く静かに林の中を歩いた。と、賢が兄の背中をつついた。
「兄ちゃん、あそこ。」賢が指さす木の枝に大きな鳥が止まっていた。
突っ立っている賢の肩を台にすると狙いを定めて引き金を引いた。
鳥は枝から垂直に落ちて、羽根をばたつかせながら地面を跳ねた。
勝は走って鳥を押さえた。手に取ってみると弾は鳥の目をくりぬいていた。くりぬかれた眼から血が流れ出ていた。
眼のない鳥。あのかわいらしい鳥の眼もこうなっては鳥とは思われない怖さで勝と賢に迫っていった。勝の手の中で鳥は何度かコクコクと体を動かし、やがて動かなくなってしまった。
「帰ろうか。」と、勝が言ったのと、「帰ろうよ。」賢が言ったのは同時だった。
勝は鳥を林の中に放り出すと賢と山を走り下りた。目玉のない目から血の滴り落ちている怪物が二人の後を追いかけて来るような気がして空気銃を担いで山を登った時よりも数倍の速さで、無言で我が家に辿りついた。