卒寿小論 112 瑠璃も玻璃も照らせば光る(江戸)
途中で・・・「みがけば光る」に変化
『物は違うが、光を受ければともに輝く。』
「照らせば光る」から「磨けば光る」どうして変化したのだろうか。時代の流れの中で人間の生き方が受動的から能動的に変わった時代を映し出しているのではなかろうか。
「瑠璃や玻璃」を客体とみなすか、主体とみなすかで「照らせばと磨けば」の表現に変化が起こる。
照らされて物体は初めて光る。光が当たらないと物体は光らない。例え光が当たっても磨かれているかどうかでその光り方が異なってくる。
人は一生のうちに何度かチャンスが訪れる。しかし、精神を磨いていなければ訪れたチャンスをチャンスとして受け止めることはできない。
ダンチョネいろは歌
車返して 土地を返し 命返してネ
さようなら ダンチョネ
銃弾一発 何かを変えた (キュッキュキュ ~ )
野党の責任 おおきいぞ (ブンガチャッチャ ~ )