syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 266 子孫断絶願望の吉田兼好(徒然草7)

                                        子孫断絶願望の吉田兼好


 何故だ。なぜだろう。兼好の家は代々神祇官あるいは太政官として奉仕してきた家系である。祖父、父、兄弟とそれぞれに官職の次官(すけ)クラスまで上り詰めた身分の家である。


 そのような家であったからこそ、「子孫断絶願望」が一つの生き方になったのかもしれないと思われる節もある。


『わが身のやんごとなからんにも、まして数ならざらんにも、子といふ物なくてありなん。・・・』(第6段)


(わが身が高貴であろうとそうではなかろうと、子どもというものはないままでいるのがよい。・・・子孫が劣っていることを思うとみっともないことである。)


『…住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん。命長ければ恥多し。長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。』(第7段)


(私は長生きして恥をかくよりも、また、みにくき姿になるよりも、できれば四十歳までに一生を終わるのが願いである。)


 兼好が生きた「恥と名誉」の文化まっただ中での一つの生き方として理解できる面がある。恥と名誉の価値が薄れてきた現代では、合わせて「義理と人情」も薄れてきた。


 祖先と子孫を繋ぐ「家」の存在が薄れていくと個人が自分勝手に生きていき死んでいこうとする。


 後々の子孫が恥をさらすようなことを思い心配する世の中から、私と同じような苦労をさせるくらいなら、いっそのこと結婚もしない子もつくらないと生きていく。これが現代における少子化の大きな問題ではなかろうか。


「恥と名誉」の価値観から、利害優先の生き方が広がってきた現代社会の政治は一筋縄では前には進めない。少子化問題も人の価値観に左右されているので小手先の改革ぐらいではどうにもならないことで、このまま少子化が進んで日本が消滅していくのか、何を持ってこの少子化に歯止めをかけるのか政治家も国民も大きな責任を抱えている。


 特に政治家の行動は国民の目によく見えるので政治家の役割は何にもまして一番の問題である。


「恥を知れ」と叫びたくなる政治家の生き様が日本を潰そうとしている。
勿論、国民も恥を知り、名誉に生きる日本の風土をつくる努力をしなければならない。


 そういう意味で吉田兼好の生き方は凄いと思う。徒然草を読む価値は十分にある。


       

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