syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 275 待つ力の弱さを実感

 第4コーナーを回って、米寿を目前にして「待つことの弱さ」を実感しています。


 若いうちからその様な傾向はあったのかもしれませんが歳を取ってからひどくなったようです。特に、家族のことについては落ち着いて「待つこと」が出来ません。


 わりと早いうちにその道の専門家に「お任せする」心は出来てきたような気がします。自分でそう思っているだけかも。
 病気なったらお医者さんに、死ぬときはお坊さんに、電気のことは電気屋さんに、植木のことは植木屋さんに。と
 これはかなりうまくいっているような気がします。


「待つ力を」どうつけるかが、「執着」の心を解き放すことに繋がっているような気がします。
喜んだり悲しんだり、笑ったり怒ったり、喜怒哀楽の繰り返しが人の一生の姿のようです。
喜怒哀楽は一所にじっとして居ません、どんどん歩いてやってくる。どんどん歩いて去っていく。風のようなものかも。


 喜怒哀楽がやって来た時。それを徹底的に受け入れていく。
 喜びの時は大いに喜び、怒りの時は大いに怒り、哀しい時は大いに哀しみ、楽しい時は大いに楽しむ。


 それしかないのかなあと思います。この風を全身で受け止めること。
この辺りの心のあり様が「待つ力を」強め、「執着」から解き放される生き方かもしれないと。
   自分でいろんなことに挑戦してみて「執着」からの開放を試してみよう。
        執着も生活習慣病の一種かも、生活習慣を変える。


        

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