syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 379 一人3役の僕は生徒

 家庭訪問の日、T・H君(以後T君)が一人で私を待っていた。庭に面した縁側に腰を下ろすとT君がお茶を出してくれた。


「先生、僕一人3役をやっています。主人兼、主婦兼、生徒です」
「それは大変だな。・・・このお茶うまいよ」
「隣のおばちゃんが用意してくれました。父は仕事で全国を廻っています。母は今入院中です。姉は東京の大学へ行っています。それで隣のおばちゃんに頼んで食事や日常のあれやこれやをお願いしています」


 T君は、十分に3役を果たしている。家庭訪問の対応だけでも中学生とは思えない。
 しばらく家庭の情報や彼の生活のことを話題にしている時、突然


「雑草の美学をどう思いますか」と話題を投げ掛けてきた。
「雑草、好きだよ。特に小川のほとりや道端に自然にある雑草がいいな。」
「僕も雑草が好きなんです」


 雑草の話題でしばらく話が弾んでいた時。彼の家の犬が近づいてきたの撫でようと手を出したら、犬は尻尾を巻いて動かなくなってしまった。


「先生。うちの犬は自閉症的傾向があるようです」


 昭和50年代、まだ一般的に「自閉症」という言葉は使われていなかった。病院や研究機関で「自閉症的傾向のある子どもの指導」が取り上げられる時期であった。


「散歩で外歩きをすると少しずつ改善していくよ」


 中学2年生の彼とこれまでの家庭訪問にない話題で盛り上がった。帰りしなに「給食だけは食べに来いよな」と。
「僕、朝がおきれないんです。でも頑張ります」


 これが彼との交流の始まりであった。2024年令和6年の現在までおよそ47・8年続いている。
 彼が執筆した著書2冊、これは大学のテキストにも採用されたそうだ。
 彼の小説が入っている電子書籍などが突然送られてきて吃驚したもんだ。今は、彼のホームページを楽しみに念入りに読んでいる。


 T君のことを少し丁寧に記録すれば一本のレポートが書けるし、また小説にすればこれも一本の短編が書けるだけの個性を感じる。


 見た目だけではわからない。深く話し、長く付き合っていくうちに彼の資質能力の個性に驚く。中学生の時の彼の暮らしぶりは、本人は真面目なだけに笑いがいっぱいである。


    こういうのを天才というのかも、と納得している。


               

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