卒寿小論 45 マッタケ <掌編11>
カエデ 季節の花300より
花言葉 「大切な思い出」「美しい変化」「遠慮」
「もう焼けたんじゃないんか。焼けたら一番にばあちゃんに持っていかにゃあ」
長男のはじめは、酒の燗をつけながら、妻の滝子に言った。
村の秋祭りの日、おかよばあさんの家では子供たちが全員集まり、ばあさんの取ってきたマッタケ料理で酒盛りが始まる。
ばあさんにとっても、子供たちにとってもこの家の一年の最大に楽しい行事であった。
隣村に嫁いでいる一人娘の玉江も孫を連れて帰ってくる。
家の中が、焼きマッタケの香ばしいかおりで充満するころ、おかよばあさんを中心に子供たちは膳につく。
長男の嫁の滝子が、手で細かくさいた焼きマッタケを皿に盛り分け、カボスとしょうゆをかけ、気ぜわしく運ぶ。焼きマッタケを冷えない熱いうちに食べるのである。
この村では、おかよばあさんのことを、マッタケばあさんと呼ぶ。カキがうれ、クリの実がはじけ落ちるころになると、おかよばあさんは毎年かごいっぱいのマッタケを取ってくる。
村の衆も、おかよばあさんの行動には、目を光らせ、ばあさんが山に入ると尾行する者もあるのだが、途中でまかれて、一人で山を降りる。すると、ばあさんは、かごいっぱいのマッタケを取ってもう家に帰っている。
じいさんが死んで、ばあさんにとっては、こうやって、子供や孫に囲まれて、焼きマッタケに熱燗の酒をコップ一杯ほど飲むことは得も言われぬ楽しみであった。
今にして思えば、じいさんが残してくれたものの中で、このマッタケが一番ありがたい遺産である。
長男のはじめが生まれた次の年に、じいさんからマッタケの秘密を教えられた。
「おかよ。かごを持っち、わしについちこい。いいか、道をよく覚えておけよ。マッタケというもんはな、木のすぐ根にあるもんじゃない。枯れ葉がこんもりと少し盛り上がちょる。 しろうとには、なかなか見つかるもんじゃないけんのう。」
おかよは、夫の持つ、たった一つの秘密を聞かされた。それは夫の妻に対する全幅の信頼と、愛情の表現であった。
おかよばあさんは、きょうは気持ちよく酔っていた。
マッタケはおかよばあさんにとって、過ぎし昔日の思い出をさそう唯一のものであり、じいさんを思い出し、幸福感にひたり、これからの生き甲斐となり、人を見る目を養うものでもあった。
しかし、近ごろめっきりふけこみ、神経痛も出はじめ、おかよばあさんも、もうこのへんでだれかに、マッタケの遺産相続をしなければと思うのである。
長男のはじめにゆずりたいのだが、人がいいばっかりで、しゃんとしたところがない。あれでは、村のかしこい同僚にマッタケの秘密を取り上げられてしまうだろう。
次男のつぎおは、しっかりしているが、あれにゆずれば、一人じめにして家族きょうだいに分け与え、楽しむような精神がない。いさかいの種になる。
三男のみつお、これには困っている。酒は飲むし、かけごとは好きだし、マッタケの秘密であろうと、なんであろうと、銭にかえてしまうに違いない。
四男のよしおは、東京で就職し、もうこの村には帰ってこまい。娘の玉江は、嫁に行った者じゃけに、対象外である。さてさて、おかよばあさんは困ってしまう。ばあさんのめがねにかなう子供はいない。
マッタケの秘密をゆずるには、それ相応の資質が要求される。ばあさんはばあさんなりの理想の人間像を描いている。まず、感覚のすぐれた者、発見する力、判断する力が要求される。
次に、秘密を守ることのできる人間、そして、適当に家族や近所の人に分け、ともに喜びあえる人間、最後に、山を大切に育て守ろうとする人間。
マッタケの土くさい香ばしいにおいが、家に充満し、酒がほどよくまわって、おかよばあさんもマッタケ相続の件で考え疲れた。ころあいを計って、長男の嫁の滝子が、おばあさんのマクラと毛布を持ってきてそっと置いた。
いつものことであるが、おかよばあさんはコップ一杯の酒をのみ電気コタツに足を突っ込んで、三十分ほどのうたた寝を楽しむ。
毛布を引き寄せながら、「おお」と、おかよばあさんは目を見開いて、満足気に笑った。 決して、目立つ嫁ではないが、嫁との長い生活の間にいさかいも起こさず今日まできたことは、これは大変なことであり、嫁の人間性というものを改めて、考え直さずにはいられなかった。
文句をつけることも、とりたててほめることもない。毎日の生活を的確に運営していく能力、心の配り方、判断のよさ、忍耐強さ、寛容さ、これこそおかよばあさんの理想像ではないか。
翌朝早く、おかよばあさんは、嫁の滝子にかごを持たせると裏山へと連れだって姿を消した。山の紅葉が朝日にまぶしかった。