卒寿小論 233 盲の垣のぞき(上方)
【やっても無駄なことのたとえ。】
藤本義一氏は、このカルタについて次のような解釈をしている。
『盲人が垣の中を窺がうというのは、なんとも陰気な印象だが、実際はそういったものではないらしい。
室町時代に公卿(公職)からリタイヤした男が、現代でいえば公務員を定年退職した身でありながら、宮中の公式の儀式をひそかに拝観しようとしたことにはじまるという。』
そうであっても、現代のカルタとして使うには不適切であると考えられる。個人的には、削除差し替えをしたいと考えている。
やっても無駄だと思えることもやってみなければ分からない。そんな思いになることに直面することがある。
はなからやっても無駄だという考えで事に当たると何の変化も何の成果も得ることができない。
基本は「やってみなければわからない」という立場に立って物事に挑戦して行くことである。たとえ無駄だと思われる行為でも体験することによって「体験の知恵」というものが身につく。
この体験の知恵を多く持つことが生活を豊かにする。
特に、若い内は失敗を恐れずにおおいにいろんなことに挑戦すべきである。大人はやっても無駄だといって若者の足を引っ張ることの方が多い。
思いがけないお金がころがりこんだりすると、とんでもない、誰が考えても無理だなと思われることに手を出して失敗する人がある。
考えに考えて考え抜いてこれをやるんだという意気込みがあれば、無理かなと思われるようなことでもやってのける人もある。
思いつきで挑戦するのは危険なことが多い。
ヤブラン 季節の花300より
花言葉は 隠された心、忍耐
ダンチョネいろは歌
日本の行く末 竜馬に訊けば (アーどうしたどうした)
明日のことはネ 風まかせ ダンチョネ (エーなんとなんと)