syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 295 笑われるか、笑わせるか

 学生時代、まだ地方の大学に「落研」がなかった時代にお笑い好きの友達が数人集まって、一杯飲みながら「お笑い談義」をよくしたものである。


 当事者が笑われる傾向にあるのが、漫才で、相手を笑わせる方が落語のようにある。という結論が出た。


 落語家の中にも「笑われながら、笑わせる。」桂枝雀のような落語家もいる。漫才師の中にも「しゃべくりだけで、笑わせる。」漫才師も居るので一概には決めつけられないが総じて「笑われる漫才と笑わせる落語」という雰囲気で落ち着いた。


 当時の学生はほとんどが落語の方に興味を持っていた。


 別に指導者や師匠がいるわけでもないので、テレビやラジオを通しての真似事から落語の研修が始まった。


 昭和30年代の初めは破壊された顔の持ち主で真打になった「柳亭痴楽」が全盛であった。
 まあ地方の教育学部であったので「綴り方狂室」というネタにも関心がもたれたと思う。


 痴楽の「綴り方狂室」を一本マスターしたら、それを参考に自分らしい綴り方を創ることにして完成した者から順次発表していくことにした。


 創ると言っても初めての経験であるからあれやこれやと借りものだらけの創りものになっていくのも仕方のないことである。


 次の飲み会で、トップに発表した枕の部分だけ紹介しよう。


「私、生まれも育ちも湯の街べっぷでございます、姓は別府、名は正悟。鉄輪の地獄で産湯を浴びて、まあ熱いの熱くないのとお尻が真っ赤かになりまして、それ以来ぬるま湯大好きでぬるま湯人生を歩いています。


 山のあなたの 空遠く 「幸」住むと 人のいふ 噫われひとと 尋めゆきて 涙さしぐみ かへりきぬ 。 パアなる男(おのこ)と思いきや津々浦々に隠れなき好色男のナンバーツー別府正悟と知りました。聞くと見るとは大違い役者見るようないい男、てなてな、ことを妄想してやっとここまでたどり着き、教育の道を進んでおります。以後、よろしくお願い申し上げます。」


 こんな馬鹿馬鹿しいことをやってきましたが意外とこれが教育活動の役に立ちまして、何でもやってみるもんだなと今さらながら感心しています。


 落語のまくらはそれなりに重要な役割を占めいる。短いまくらで聞き手を一瞬にしてひきつけ、次の本題へと進む。まくらと本題から一気に落ち(さげ)に、すべてが一貫した流れの中で落ち(さげ)で一気にまとめる。


 まくらについては、面白いこれでいけばという評価を得た。問題はこのまくらに対しての本題の展開が難しいという意見で、とりあえず「寿限無」か「桃太郎」でやっておいて、本題のところは新作でいけば、ということで落ち着いた。


 いろんな集会で実験的にこの「まくら」の部分を披露したらなかなかの好評で、本題よりもまくらに関心がもたれた。


 さて問題は、このまくらにあった新作落語の創作である。そしてさげをどうするか。素人学生にはなかなかの難題である。素人学生は理論先行で話が理屈っぽくなり易いので要注意。
 そんなこんなで馬鹿馬鹿しくも充実した学生生活は楽しく後々、芸は身を助けてくれた。

           


      

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