卒寿小論 370 よき時代の授業風景
昨日、教え子の郵便局長に会って懐かしく昔のことを思い出した。
小学生は、ハイハイハイとやかましいぐらい声を出し発言に積極的であるのだが、中学生になった途端発言をする生徒が急減する。
朝から一日中一言も発することなく授業が終わる。
そこで、1時間の授業の中で一言でも声を出してもらおうと、
自由に自主的に発言する場とは別に、席順や出席簿順に指名発言をする場を設けた。
「発言する自由があるように、発言しない自由もあります。自分の発言の番が来たら、起立して何か一言発言してください。パスします。とか、今考えています。とか。何でもよいですから発言してください。」と、言ってスタートした。
最初の日は「パスします」が圧倒的に多かった。ある男子生徒の番になったとき、その生徒が「僕は少林寺拳法をやっています。その型をやってもよいですか」
「いいですよ」
彼は、ゆっくりと前へ進み出て最初のポーズを取った。次の瞬間、どこからあんな声が出たのかと思われるような、頭のてっぺんからひねり出すような声で「型」を始めた。
その声の異様さに教室は爆笑で盛り上がった。
演技が終わって一礼すると全員が大きな拍手を送った。
彼は満足そうに自分の席に着いた。
次の授業から、みんなは何かしゃべろうと準備をしてくるようになったのと同時に授業に対する発言も活発になった。
どうですかね。今ならこんな授業はやれないでしょう。苦情が殺到するかも。しかし、いい授業ができた。
古き良き時代の授業風景を思い出した。郵便局長ありがとう。
少林寺拳法のあの生徒、どうしているかなあ、会いたいですね。