syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 49 ある商人の急死 <掌編13>

                                         

                  無花果  季節の花300より


 「死にましたってなあ。よんべこそ、わけえしに混じって、酒を飲んじょったちゅうがやっぱり心臓麻痺か何んかで、ほう、脳充血ですか、誰れがいつころっといくかわからんもんてすなあ」


 せまい土地のK町では、一人の商人の急死が、NHKの臨時ニュースよりも早く、各家庭に流され、夜のできごとが朝食時の話題となる。
 畑仕事や網仕事に行く賃取り氏も、前田さんの急死の話で持ち切り、町のあちこちで女ごしが三・四人ずつかたまって、話に夢中になっている。


 「おぱあちゃん、あんたとしゃあなんぼな、・・・五十六・・・ほんなら、前田さんとおない年じゃあな」


 おばあちゃんは、自分の返答でハツとした。前田さんと同じ年であることを改めて確認すると、まるで、自分が死んだかのように、悲しみがこみあげてきて大つぶの涙がこぼれ落ちた。


 「前田さんとこは、子どもがみんな職についとるから、まあ、いいようなもんのうちの場合は困る。中学と高校の女の子がいる。わしが先に死んで、じいさん一人になったら子どもがかわいそうや、じいさんもかわいそうや」。


 そんなことを考えると、おばあちゃんは、近所のおしゃべりさん達と話している気色がしなくなり、そわそわとそこを抜けて、前田さんの家へと急いだ。前田さんのおくやみ方々生前の様子や死ぬる時の様子をくわしく聞きたくなった。


「もし、わしが死んだら」このことばを何度も繰り返しながら、おばあちゃんは前田さん宅の玄関をくぐった。


 「この度は、本当に突然のことで、私共みんなびっくりしとります。まあ、本当に悲しいことで・・・」後は涙まじりの鼻声で聞き取りにくかった。何しろ、おばあちゃんは自分が死んだつもりだから、声も顔の表情も真剣そのもので、聞いている方も、再び悲しみを盛り返して、顔をぐしゃぐしゃにしてしまった。
 「日頃はとても元気がよく、ええ、あの通りの体格でございますから、俺は打ち殺しても死なんぞ、とロぐせのように言うとったんですが、こうポツクリいかれると・・・」


 「いい体格で、ポツクリ」おばあちゃんはそう言いかけて、自分の体を見つめた。いまだかつて、病気をしたことのない頑健ないい体が目にはいった。
「白分もひょっとすると、ポツクリ型かも知れん」そう思い当ると、おくやみもそこそこに前田さん宅を出た。


 日頃、病気をしない人の方がかえって、死ぬ時には、簡単にポツクリといくもんだ。普段、こんなことをよく耳にするが、今のおばあちゃんにはこんなことが頭の中に広がっていた。
 今まで、あまり元気がよかったので、死ぬことなどはまったくと言ってよい程考えたことがなかった。考えても、よその国のできごとか何かのように、うわんそらに考えていた。


 しかし、今日という今日は、死が目の前にぶらさがって、必ずそれを味あわなければならないことを強く感じた。


 第一に、自分の家の前の人が急死した。しかも、おばあちゃんと同じ年で、五十六才であったこと、第二に、体格といい、生前の様子といいおばあちゃんとそっくりだったということなどは、少なからずおぱあちゃんにショックを与えた。


 「せめて末の子が、嫁に行き、孫の顔を見せてくれるまでは、生きとらにゃあ・・・。しかし、ポックリ」
 おぱあちゃんの頭の中には、ポックリということばが、かきのからのように強くくっついてしまった。


 その夜、床の中で、今まで聞いたことのない心臓の音を聞いた。今夜という今夜は、耳が敏感になって、日頃は聞こえない音までも集めてきて、おぱあちゃんを心配させた。
 おじいさんは、前田さん宅にお通夜に行って留守、二階の若夫婦はボーリング、階下では中学生の文子と高校生の英美が寝ていた。


 「おかあさん寝たの」と、二階の若夫婦がボーリングから帰り、二時間程過ぎて、ちょうど十一時頃であったろうか、階下が非常に騒動しくなった。
 突然、「幸代・・・ちょっとおりてきてくれんか」と、若夫婦を呼ぶおじいさんの声がした。ただごとならぬ父の呼び声に、二人は階段をきしませて飛びおりた。


 おばあちゃんはおじいさんの腕の中で虫の息、うわごとのように何か、かすかに口を動かしていた。
 医者がかけつけ、注射一本を打つと、心臓の鼓動も脈拍も正常にもどった。
 「血圧が低いですなあ」と、気になる言葉を残して医者は帰った。その夜は、二度程軽い発作を起こしたが大事に到らずに済んだ。


 一日あけると、五十六才のおぱあちゃんはいっぺんに十程、歳を取ったようにやつれてしまった。
 「血圧が低い・・・やっぱりポツクリ」その言葉が、いよいよおぱあちゃんを苦しめて本当の病人にしてしまった。


 一週間過ぎても、病状がはっきりせず、ぶらぶらしているおばあちゃんを見て、家族の者は町の大きな病院に検診に行くことをすすめた。
 町には長女の志乃もいるし、久方ぶりに湯治方々、娘の家を訪問する気になったおぱあちゃんは、さっそく出かけることにした。


「おかあちゃん、おばあちゃんを、おまいり所なんかに連れて行ったら、いけんで」そう言い残して孫は学校へ行った。


 「病院の帰りにちょっと寄ってみますか」


 「そこにおすわりになって、手を胸に、静かに目をとじて、私とお話をしましょう。ずいぷんと体が弱っているようですね」
 「はい、医者に見せたら、血圧が低いといいよります」
 「そうでしょう。心臓がはげしく打ったり脈拍が普通と変わったり、耳なりがしたりしますでしょう。・・・それに、あなたの家の近くか、身内の者で、近頃なくなられた人はおりませんか」
 「おります。おります。前田さんという五十六才の私と同じ年にたる人がポツクリなくなりましたんじや。」
「ほほう。そうですか・・・ひょっとすると・・・ちょっと拝んでみましょう」


 いかにもおまいり所らしく赤いペンキで塗られた安っぽい建物に障子紙のビラビラが結び付けられ、荒縄が家中張り巡らされて床の間にはアルミのような円い鏡が三方に乗せて置いてあった。
見るからに安っぽい三流映画館の舞台装置もおばあちゃんにとっては、神社や皇居のそれらに値するのかも知れない。


お参り所の男は、一心にアルミの鏡に向かっていたが、おばあちゃんの方に向き直ると低音でゆっくりと「あなたには死神がついていますな、実は、前田さんが・・・いや、いや、心配は要りません。恨んでついているのではなく、生前あなたが親切にしてあげたことが忘れられないのです。
しかし、死に神は払い落さなければあなたが死にます。死に神を落すには、線香一束に火をつけ、御飯を茶わんに山盛りにつぎ、真夜中の十二時が過ぎて、前田さんの家の裏方に行き、線香と御飯を置いて帰るのです。
ふりかえってはいけません。人に見られても、実行する前に人に話してもいけません。わかりましたな」


 おぱあちゃんは、翌日、早々とK町の自宅に帰った。わりと元気の出たおばあちゃんの姿を見て、家族一同一安心したが、なんとなく普段とちがうおぱあちゃんの態度が気にたった。


 「私のポツクリも、明日の朝まで起らねばもう大丈夫、前田さん頼みますよ」


 家族の者が寝静まり、町全体がいびきをかき始めた頃、線香一束に火をつけると一ぜん飯を持って家をこそっと出た。せどを通り、いちじくの葉のおい繁った木の下を通り、前田さんの家の裏に出た。できるだけ足音をさせないように家の二、三メートル手前まで近づくと火事の起こらぬように注意して、線香を立て、そのわきに御飯を供え、早足で家にかけ込み、便所から出て来たような顔をして床についた。


はりつめた心もやっと和み、おぱあちゃんはぐっすりと寝入ってしまった。


 「野口さん、野口のおばあちゃん、野口さん」と、おみつばあさんの声で朝早くたたき起された。
 「夜中に、入の歩く足音が家の前で止って、私しゃ、おそろしゅうて、おそろしゅうて、今みると、線香の燃え残りと御飯が一ぜんそこに置いてあるんよ。こりゃあ、きっとうちの犬を殺そうと誰かが考えとるにちがわん」


 おみつばあさんは、おばあちゃんにそう報告した。おばあちゃんはニコニコ笑ったり、もっともらしいすました顔をしたりして聞いていた。


 「ああ、今日はいい気持ちだ」久方ぶりにおぱあちゃんの元気な声や笑顔が出て、ゆかいな朝食になった。


 「先日はどうも本当にありがとうございました。あなたの言う通りにしましたら、これこの通り、ぴんぴんしゃんしゃん」
 「ほほう、それは結構結構、ありがたいことです」


 おばあちゃんのさし出した金一封をふところにしまいながら、おまいり所の男はニタリともしなかった。

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