卒寿小論 181 日本人の笑いを変えた男たち
笑いは社会を写す鏡である。
日本人の笑いを変えた頓智の天才 曽呂利新左エ門。曽呂利伴内は記録に残っている人物であるが、新左エ門は伝説中の人物である。
戦国時代の武将の側近に居て話やその他の芸能などで武将たちの徒然を慰めた御伽衆を象徴した人物として曽呂利新左エ門の名が残ったのであろう。
頓智の天才と言えばかっこいいが、後の太鼓持ちの走りと言えるだろう。太鼓持ちの「よいしょ」は素直に笑えるが、お伽衆の「よいしょ」は相手が権力者であるがゆえに素直に笑えない面がある。
秘蔵の松が枯れて秀吉がふきげんな時に
「御秘蔵の松が枯れるのはめでたいことです。」(曽呂利)
「なんと。」(秀吉)
「御秘蔵のとこよの松は枯れにけり、己がよわいを君にゆずりて。」(曽呂利)
参考 常世=永遠、常に変わらない。
よわい=齢 永遠の命を君に譲る。
褒美に金をやるというのを辞退して、そのかわり毎日秀吉の耳のにおいをかがせてくれるように願う。それを実行するうちに贈り物がどっさりと届くようになったと。
これが権力者に対する「忖度笑い」の始まりで、お伽衆の集団が日本人の笑いを変えたといってもよいだろう。
暫くは頓智の笑いが続くが、やがて「太鼓持ち」による笑いの方が広がっていったようである。
曽呂利新左エ門の「忖度笑い」も一度は良いが、深く考えると情けない笑いに変化してきたことに気付く。これなどは笑えない笑いの一部であろうか。
生活の中で自然に笑ってしまう笑い。頓智による笑い。などが一体渾然として今笑いを彩っている。
少し丁寧に笑いの質を考えていくと社会のすがたが見えてくるかもしれない。
それにしても「忖度笑い」は頂けませんね。