syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 257 天から降ってきた友

              天から降ってきた友


 1947年(昭和22年)戦後2年目の学校の風景がまざまざと浮かび上がって来る。



 「大石、こっちこい」小学生とは思われないほどのドスの利いた大きな声で、小川が呼んだ。
 5年生になったばかりなので大石良治はクラスの者のほとんどを知らなかった。
 無言で小川の後をついて行った。小川も黙って歩いた。連れて行かれた所は講堂であった。講堂の真ん中に同じクラスの男の子が3人待っていた。


 良治はひょっとすると、けんかになるのではなかろうかと思った。
 待っていた3人の前で小川は立ち止まって、振り向くなり良治の頬を左手で殴り掛かった。その時、良治は緊張のあまり足を滑らせて尻もちをついた。運よく一撃をかわすことができた。良治はすぐに立ち上がった。


 右手には教室用の箒が握られていた。これを見た小川も素早く箒を取った。少しの間二人はにらみ合ったまま動かなかった。


 初めに小川が左手に持った箒で良治の頭をめがけて打ち込んできた。良治はやっとのことでこれを受け止めた。小川は頭、頭、胴、胴、頭と立て続けに打ちこんできた。良治も必死にこれを受け止めた。


 その時である。小川と良治が対峙している講堂の天井が大きな音を立てて裂け、男の子が落ちてきた。それは良治の友達の同じクラスの西野であった。


 西野は天井から落下すると一瞬気を失ったのか動かなかったが、すぐに立ち上がって何もなかったような顔つきで小川と大石を見た。


 昔の講堂は雨の日の体育館替わりで天井もかなりの高さであった。天井から落ちてきたこともみんなをビックリさせたが、西野は怪我が一つしないで悠々と歩き回ったことである。
その時、職員室に近い講堂の東入口の方から「先生が来るぞお」という声が聞こえた。講堂にいた皆は何事もなかったようにそれぞれの方向に足早に消えていった。


 先生が講堂に来た時には、子どもは誰もいなく、天井に大きな割れ目があるだけであった。
 もちろんその後、天井の割れ目の件で西野が職員室に呼ばれ後日親と一緒に校長より注意を受けることになった。


 西野は「天井から降ってきた男」として全校生徒の間で有名になった。敗戦後の校舎の天井はほとんどがアメリカの焼夷弾の攻撃を想定して取り外されていた。それを講堂だけは式などの関係で馬糞紙の少し厚めのものを応急的に貼ったのである。天井の梁を踏み外せば馬糞紙を突き破って落下するのは当然であった。


 西野たちの数人の仲間が床下から天井に抜ける風道を発見して時々講堂の天井に上がって梁の上を動き回っていたのである。ちょうどその時友達の大石と小川の喧嘩に遭遇しびっくりしたはずみに梁を踏み外し天井から落下したのである。


 西野が天から降ってきたので、喧嘩騒動も吹っ飛んでしまい決着のつかないまま終わってしまった。
 大石にとっては、生まれて初めての喧嘩らしい喧嘩であった。これまでも喧嘩らしいものはたまにあったが、すぐに良治が泣くので喧嘩にならなかった。息子が泣かせられる度に「おばあちゃんの育て方が悪いのよ。甘やかしてはいけないと言っているのに」と、母親は愚痴をこぼした。


 あれから76年の歳月が過ぎて、同級生は80代後半に入った。


 去年は喧嘩友達の小川が亡くなり、今年に入って「天から降ってきた友」西野が亡くなった。共に老衰とのことである。


 老衰と言われると何となくほっとする反面、淋しさがこみあげてくる。ご冥福を祈る。


         ポロリとこぼれる命の夜寒かな  正 悟


       

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