卒寿小論 292 笑いは怖い
「笑い」を一番怖がっているのは、権力者たちである。
一般国民は「笑い」を楽しみ、「笑い」に生きる勇気をもらい日々の生活を頑張っている。
一番に検閲と弾圧の対象になるのが「笑い」である。
続いて、演劇や文学作品に検閲の眼が注がれる。平和な今でも「そういう目」で調査活動をしている公務員がいるそうだ。(驚き)
戦時中の落語や演劇に対する弾圧は凄かったようだ。
私は小学校低学年でその辺の体験はない。大人になって先輩からの話で何となく戦時中の検閲そして弾圧の凄さと怖さとを追体験した。
権力者はどのような質の笑いや文芸を怖がるのであろうか、具体例をもとに検証してみたい。
発禁落語から取り掛かってみるか、ついで発禁本、小説。演劇なども調べてみたいものである。
「笑い」の渦が大きくなると人の手に負えないようになる。例え権力者でもその「笑い」をとめることはできない。
そのヒントを落語~大衆芸術への招待~加太こうじ著から引用してみよう。
『落語は民衆の中から生まれ、民衆によって育てられ、民衆の生活と共に今日もなお盛んな芸術である。落語は封建時代の末に発生して、次の時代<資本主義社会>を指向している。そして、未来の社会を、どう築いたらいいかということを示唆している』(加太こうじ)と、同感である。
落語は新しい時代に向かって突進しており、下からの要求にこたえて、新しい生き方を打ち出している。恋愛の自由、親子関係、金銭、職業、身分、女性、道徳、等々と。』
「下からの要求にこたえ、新しい生き方を打ち出し、新しい時代に向かって突進していく」 それを笑いに包んで広げていくところが怖いんだな。「笑い」は時代を変える。これなんだ。
そうは言っても、落語や漫才などは理屈抜きに面白くなければどうしようもない。
「馬鹿馬鹿しいお笑いが一番」。
理屈抜きに笑って暮らすのも人生。まあそれでいいか。