卒寿小論 390 5年ぶりのドライブ
甥っ子に誘われて運転免許を返納して5年ぶりに隣町の大分市へドライブをした。
目的は大友宗麟の館跡が大々的に整備されて新しい大分の文化の目玉になるというので、その進捗具合を見学することであった。
まだまだ、事業にやっと手を付けたという状態であったが、資料や跡地の見学を終わってみて、特にビデオ映像の大友宗麟についての部では、今までになかった宗麟像が描かれていて、これまでに私が描いていた宗麟とは大きく異なっていて考えを改めなければと思った。
これまでは単純に戦国武将として、酒を好み、色を好む、いわば英雄にありがちな男のイメージを持っていた。
そうではない。宗麟は戦国武将というよりも戦国豪商と言った方がよい。彼は武将よりも商人に近い。戦国時代よりも現代に近い人物像として私の中に残った。
ただ以前と変わらぬイメージは、宗麟は虚弱体質で神経質な一面を持った人物で、現代人の感覚に非常に近い生き方をしているということである。
これを機会に大友宗麟の生き方を一から見直して整理していくことにする。
大友初代の能直(よしなお)と2代当主の親秀(ちかひで)は豊後には入城しなく京都からの采配であった。
大友義鎮(よししげ)後の宗麟は第21代の当主で豊後における大友家は第22代大友義統(よしむね)の代で終わることとなるが、子孫は代々徳川幕府などの官職につき続いていく。
献金に献金を重ねて、立身出世をして権力と富を手にした大友宗麟はまさに現代人だ。
ただの豪商では戦国時代、生き延びることは出来ない。優秀な命がけの部下が多くいたことと、そして時の将軍に助けられて権力を維持した。
宗麟を調べていくと現代の政治がよく見えてくる。宗麟にはいくつもの顔があってその評価は大きく分れる。そこが面白いところである。