兼好法師は本当にこう考えていたのであろうか。 わざわざ「賢き人の富めるは稀なり」と書いたことは、本当に「稀」であるならば話題にする必要もないと考えるが。 「人はおのれをつづまやかしに、奢(おご)りを退(しりぞ)けて,財を持たず、世をむさぼらざらんぞいみじかるべき、賢き人の富めるは稀なり。」(... 続きをみる
徒然草のブログ記事
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子孫断絶願望の吉田兼好 何故だ。なぜだろう。兼好の家は代々神祇官あるいは太政官として奉仕してきた家系である。祖父、父、兄弟とそれぞれに官職の次官(すけ)クラスまで上り詰めた身分の家である。 そのような家であったからこそ、「子孫断絶願望」が一つの生き方になったのかもしれないと思われる節もある。... 続きをみる
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私の隣に吉田兼好が二人いる。 一人は同級生で、もう一人は身内である。 二人ともに共通しているところは、高学歴でおまけに背が高くイケメンで、働かなくても一生食っていける財産家である。 二人ともに既に亡くなっているので彼らの供養を兼ねて人柄をしのんでみたい。 同級生の彼は、京都の一流国立大学... 続きをみる
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卒寿小論 260 出生、没年不詳の謎多き吉田兼好(徒然草5)
出生、没年不詳の謎多き吉田兼好 吉田兼好の家系は代々神祇官あるいは太政官として奉仕してきた。 兼好の父、兼顕(かねあき)は治部少輔、兄の慈遍は大僧正、兄の兼雄は民部大輔の官職にあり、兼好は蔵人・左兵衛佐の仕官であった。 治部少輔は官職四等官の2番目である。長官(かみ)の次が... 続きをみる
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兼好と長明の住居観 鎌倉前期の「大火、辻風、遷都、飢饉、地震、保元の乱、平治の乱」と大混乱の中を生きた鴨長明と武士の力が定着してきた安定した鎌倉後期に生きた吉田兼好では人生観に大きな違いが出るのは当然である。 特に、住居についての考えは大きな違いを感じる。 鴨長明は、... 続きをみる
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兼好法師の色の道 兼好法師は相当のイケメンで自信家であったのだろうと思われる。 つれづれ草の第1段のしょっぱなから、『人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ。』(容貌や風姿のよいのがよい。) これは相当の自信があっての言葉とみる。 更に、序段の『あ... 続きをみる
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兼好の理想とする男性像 「容貌や風姿がよいのがよい。しゃべりぶりも聞きやすく、やさしく穏やかで口数の少ないのがよい。」 『人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ。ものうち言ひたる、聞きにくからず、愛敬(あいぎやう)ありて、言葉多からぬこそ、あかず向は... 続きをみる
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漫 文 16 いいじゃありませんか兼好さん いいじゃありませんか 兼好さん つれづれなるまま 日くらして 退屈しのぎの エッセイで かまくら末期の 文化人 一目見るなり そ... 続きをみる