卒寿小論 20 論語よみの <江戸川柳>
江戸川柳 好きなんだよな。 なしか
蠟 梅 季節の花 https:www.hana300.com/
花言葉 「先導、先見」
1 論語とニキビ
足音がすると論語の下へ入れ
今も昔も同じ情景が目に浮かぶ。江戸の学習の基本は論語である。
人の生き方を学ぶにはもってこいの教科書である。現代にも十分に通用する内容で満ちている。
学習を始めたころは素直に勉強に取り組んでいただろうが、年月が過ぎてニキビの目立つ年ごろになると論語の勉強をしながら、論語とは正反対のことに関心を持ち、走ってしまう。
足音を聞きつけて急いで、論語本の下によからぬ本を隠してしまう。このような態度を取りながらも親の意見を聞く間は可愛いものである。
青年期を過ぎて家庭を持てばソレなりに確りと生きていくようになる。
「久しく論語を読まないなあ。」
日常生活の中に論語が自然と気づかぬうちに入り込んでいるせいかもしれない。それにしても論語よまずの論語知らずになっているような生き方である。
さて、今一度、せめて論語読みの論語知らずにまでバージョンアップした生活に戻そう。
私の生き方に影響を与えた論語 衛霊公(えいれいこう)第十五 23
子貢問曰。有一言而可以終身行之者乎。子曰。其恕乎。己所不欲。勿施於人。
子貢(しこう)、問(と)いて曰(いわ)く、一言(いちげん)にして以(もっ)て終身(しゅうしん)之(これ)を行(おこな)う可(べ)き者(もの)有(あ)りや。子(し)曰(いわ)く、其(そ)れ恕(じょ)か。己(おのれ)の欲(ほっ)せざる所(ところ)は、人(ひと)に施(ほどこ)すこと勿(なか)れ。
o下村湖人(1884~1955)は次のように現代訳をしている。
「子貢がたずねた。ただ一言で生涯の行為を律すべき言葉がございましょうか。先師がこたえられた。それは恕(じょ)だろうかな。自分にされたくないことを人に対して行なわない、というのがそれだ」と訳している。
o子貢 … 孔子の門人。姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)。子貢は字(あざな)。雄弁で知られ
た。ウィキペディア【子貢】参照。
o一言 … ひとこと。
o可以 … ~する値打ちがある。
o終身 … 一生。
o之 … 直接指すものはない。皇侃(おうがん)本等にはこの字なし。
o者 … ことば。
o乎 … 疑問(質問)の意を表す。「有りや」または「有るか」とよむ。皇侃(おうがん)本で
は「乎也」に作る。
o其恕乎 … 「其~乎」は感嘆を伴った強い推断の言い方。「まあ~だろうよ」と訳す。
「恕」は思いやり。
o己所不欲 … 自分がいやだと思うこと。
o勿施於人 … 他人に対してしてはならない。「勿れ」は禁止の意を表す。「…してはいけな
い」「…するな」の意。四部叢刊初篇所収正平本・縮臨本では「勿施於人也」に作る。
参 考
論語読みの論語知らず
書物に書いてあることを知識として理解するだけで、それを生かして実行できない人をあざけっていう。