卒寿小論 96 屁をひって尻つぼめる(江戸)
『あやまちをしでかしたあとで、ごまかそうとするたとえ。』
つい先日、小学校の先生をしている同僚から聞いた話だが、近年は、いたずらをしても現場を抑えない限り、絶対に自分から名乗り出ないということである。
現場を抑えられて、注意をされていても、何や彼やと言い訳ばかりして、謝ることを知らないということであった。
「あやまる」ことを忘れた日本人、罪を犯したら、素直に謝り、罰を受ける以外に手はないのだということを指導しなくなった日本人を見ることが多くなったような気がする。
すべては大人の責任である。
その一因として、学校教育の中から、政治教育と宗教教育が締め出されたことが考えられる。政治は正義の追求であり、宗教は良心の喚起である。
ダンチョネいろは歌
身の丈あわせの 民間テスト
いつのまにやらネ 雲隠れ ダンチョネ
美しい日本 誇りを持って (キュッキュキュ ~ )
桜観る会 続けよう (ブンガチャッチャ ~ )