syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 22 母の愛と父の愛 <江戸川柳>

         江戸川柳  好きなんだよな。 なしか


          

        花水木  季節の花 https:www.hana300.com/
        花言葉は「永続性、返礼、私の想いを受けてください」 
1 母の愛 


  母親はもったいないがだましよい


  父はうち母は抱きて悲しめば かわる心と子やおもうらん


「𠮟り手の愛」と「抱き手の愛」がうまく絡み合って子供は成長していくといわれるが、なかなかそうはいかない。
 親父は頑固すぎるか無関心、母親は甘やかしすぎるか口やかましい。戦後、新憲法のもとで親の生き方が随分と変わったようにある。


 それでも昭和の時代は子供が良く育った方である。地域のおじちゃんやおばちゃんとの人間関係があった。今、地域の人間関係も、親戚の人間関係も希薄になって子供が上手く育ちにくい時代になった。


 今一度、父の役割や母の役割を考えてみる時期にあるのではなかろうか。


   母親は息子の嘘をたしてやり
   

   母親もともにやつれる物思ひ


 娘の恋煩いであろうか、母親も娘と同じようにやつれてしまう。子を思う母親の心情はかなしいまでに透き通ってみえる。良かろうが悪かろうが全てを丸ごと受け入れる受容力が相手の生き方を変えるのを生まれながらに身につけているのが「母の愛」ではなかろうか。


2 馬鹿亭主


   薪水の労をたすける馬鹿亭主


   薪水(しんすい)の労=飯炊きや水汲み


 今では当たり前の男の家事労働であるが、江戸時代では馬鹿呼ばわりされた。買い物のお供などしようものなら馬鹿亭主、駄目亭主と言われた時代である。


   どこへでもくっついて出る馬鹿亭主    そんな雰囲気が残っている地方もある。
   あいつだに帰る気ならと馬鹿亭主     惚れています。



   もう以後はさせやるなよと馬鹿亭主    歳の差がありすぎかな
   またもとのさやへ納めるばかてい主    お前ほどの女はいない


      結局のところ、惚れているだけのことです。


 江戸時代にあってやがて来る民主社会を先取りして、男女共同参画の生
き方を実践した愛すべき馬鹿亭主たちである。馬鹿亭主大いに結構、結構。


3 はずかしさ


   恥しさ知って女の苦のはじめ     江戸封建の女の定め。男尊女卑。
   物の味一日知れぬはづかしさ     初めてのお歯黒の日です。


   あごばかり出してゐてさえ恥かし  婚礼の丸綿緊張しますわ
   恥しさつい三月たち四月たち     はやく公開して祝ってもらえると。


 金儲けのためには恥も外聞も捨てた社会の雰囲気は、国家そのものを崩壊に導く。国家の乱れは先ず頭から腐れ始めるようだ。

卒寿小論 21 あなた幸せですか、学校は楽しいですか <俳句10>

 初対面の挨拶で、全校生徒に向かって次のようなメッセージを送った。


「あなたとすれ違った時に、あなた幸せですか。学校は楽しいですか。と、声を掛けますので、こたえを準備しておいてください。昼休みの給食後時間に校長室を開放しますので訪問をして下さい。待っています。」


 これが生徒との初対面の挨拶であった。


 来るは來は年間延べ人数で200名を超えた。一か月過ぎる頃に男子生徒がやってきて、
「校長先生、何度来ても校長室が満員です。それで予約制にして下さい。一週間の予約一覧表をつくってきましたの校長室の入り口に張っておいてください。」


「良いアイデアだ。一覧表に私の不在の日を記入して貼っておくから。ありがとう。」


 予約一覧表がこれより定年退職する日まで2年間有効に利用された。


 1年生は何となく校長室を覗いてみたかった。
 2年生は幸福についての意見交換。
 3年生は進路に必要な情報を図書に揃えて下さい。というような校長室訪問者の関心度で
  あった。


 1年生ついては、いじめや不登校、それに学級崩壊になりかけいる情報などを得て速い対処できた。
 2名の男子生徒がやってきて「校長先生A君は、小学校からのいじめが続いているんで。」この一言がきっかけで、即、生徒指導と学級担任を通して保護者への連絡をして校長室で話し合いの場が設定できた。


 具体的な段取りを進める時は細心の注意を払った。


 全校の不登校生徒についても校長室を話し合いの場にして、生徒指導、学年主任、学級担任、保護者と不登校生をその事例に応じて参加者の組み合わせを考えて年間を通しての取り組みにした。


 2年生は幸福論についての話題が広がり保護者の参加もあった。
ある男子生徒は幸福度についてのアンケート調査をしてそれをグラフにまとめ県の統計コンクールに応募した。


 3年生については、要望に応えて進路に関する全国レベルの情報を集めた。


 ある日。廊下ですれ違った男子生徒から声を掛けられた。
「校長先生、幸せですか。学校は楽しいですか。」
「幸せです。楽しいです。」
 生徒はさらに、
「どんな時に幸せを感じますか。」
「私の母校で、生徒と一緒に幸福について話し合えることはとても楽しく幸せです。」
「この学校の出身ですか。知らなかった。大先輩ですね。」


 続けて、俳句2句を詠んだ。


女生徒の大根の花抱え登校す  妻がいて娘(こ)がいて我に新茶あり


 

  だいこんの花 季節の花300より


         

            抹 茶 季節の花300より


 これをきっかけに俳句の講師として多くの学級から声が掛かった。国語の担任と学級担任の協力得て幸せな楽しい時間を共有することができた。

卒寿小論 20 論語よみの <江戸川柳>

          江戸川柳  好きなんだよな。 なしか


          

          蠟 梅 季節の花 https:www.hana300.com/
          花言葉  「先導、先見」


1 論語とニキビ 


  足音がすると論語の下へ入れ


 今も昔も同じ情景が目に浮かぶ。江戸の学習の基本は論語である。
 人の生き方を学ぶにはもってこいの教科書である。現代にも十分に通用する内容で満ちている。


 学習を始めたころは素直に勉強に取り組んでいただろうが、年月が過ぎてニキビの目立つ年ごろになると論語の勉強をしながら、論語とは正反対のことに関心を持ち、走ってしまう。


 足音を聞きつけて急いで、論語本の下によからぬ本を隠してしまう。このような態度を取りながらも親の意見を聞く間は可愛いものである。


 青年期を過ぎて家庭を持てばソレなりに確りと生きていくようになる。


 「久しく論語を読まないなあ。」


 日常生活の中に論語が自然と気づかぬうちに入り込んでいるせいかもしれない。それにしても論語よまずの論語知らずになっているような生き方である。


 さて、今一度、せめて論語読みの論語知らずにまでバージョンアップした生活に戻そう。


 私の生き方に影響を与えた論語   衛霊公(えいれいこう)第十五 23


 子貢問曰。有一言而可以終身行之者乎。子曰。其恕乎。己所不欲。勿施於人。


 子貢(しこう)、問(と)いて曰(いわ)く、一言(いちげん)にして以(もっ)て終身(しゅうしん)之(これ)を行(おこな)う可(べ)き者(もの)有(あ)りや。子(し)曰(いわ)く、其(そ)れ恕(じょ)か。己(おのれ)の欲(ほっ)せざる所(ところ)は、人(ひと)に施(ほどこ)すこと勿(なか)れ。


o下村湖人(1884~1955)は次のように現代訳をしている。


「子貢がたずねた。ただ一言で生涯の行為を律すべき言葉がございましょうか。先師がこたえられた。それは恕(じょ)だろうかな。自分にされたくないことを人に対して行なわない、というのがそれだ」と訳している。


o子貢 … 孔子の門人。姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)。子貢は字(あざな)。雄弁で知られ
    た。ウィキペディア【子貢】参照。
o一言 … ひとこと。
o可以 … ~する値打ちがある。
o終身 … 一生。
o之 … 直接指すものはない。皇侃(おうがん)本等にはこの字なし。
o者 … ことば。
o乎 … 疑問(質問)の意を表す。「有りや」または「有るか」とよむ。皇侃(おうがん)本で
    は「乎也」に作る。
o其恕乎 … 「其~乎」は感嘆を伴った強い推断の言い方。「まあ~だろうよ」と訳す。
     「恕」は思いやり。
o己所不欲 … 自分がいやだと思うこと。
o勿施於人 … 他人に対してしてはならない。「勿れ」は禁止の意を表す。「…してはいけな
  い」「…するな」の意。四部叢刊初篇所収正平本・縮臨本では「勿施於人也」に作る。


 参 考

 論語読みの論語知らず


 書物に書いてあることを知識として理解するだけで、それを生かして実行できない人をあざけっていう。